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あがた屋の酒

創業正徳二年 縣屋

創業正徳二年 縣屋

わが蔵の歴史「歴史を引き継ぐから、歴史をつくるへ」

重松家の系譜

重松家の系譜

安土桃山時代、豊臣秀吉が島津征伐に遠征した際、今の栃木県宇都宮市の出身であった重松家の先祖である宇都宮鎮房は今の福岡県の小倉に居をかまえていました。やがて、鎮房は黒田如水に加担をしたということで闇討ちにあい、失脚した。その後、その孫にあたる宇都宮弥三郎義房は、難を逃れ神主の養子となって名を伏せた後、大分県中津城主「奥平家」の家臣となり、重松姓をいただき「重松善太郎義和」と名乗るようになったと伝えられている。やがて、その子「善左工門義種」の時に武士に嫌気がさして商人に下ったという。

そして、安心院村の大庄屋である久恒家が宇都宮家の時代より縁故関係であったのを頼りに、安心院へと移り住むようになったと言う。
そして、そこで、重松家として家を興すことになった。

この重松義種の子供の「徳左工衛門義徳」はフロンティアスピリッツに満ちあふれた熱血漢で、三人の息子と一緒に醸造業を始めた。
それが、今の礎となっている。当時は酒・味噌・醤油にいたる全般を手掛けていたが、次男の「太兵衛義次」が酒造り部門を継承し、「あがたや」という屋号を取得した。なんでも、宇都宮の親戚筋が今の福岡県甘木市の近くにあった秋月城の城下の「あがた」という地名のところに住んでいたことから命名したと伝えられている。

重松徳左工衛門義徳を初代として引き継がれる中、四代目柳兵衛が身代の建て直しを図り、福岡の曽根の造り酒屋に修行に出て、高度な技術を取得することによって五代目、六代目と隆盛を極めることになった。しかし、五代目茂十郎義次の時代の明治初期に「農民一揆」があり、酒蔵の一部を消失したと記されている。現在の蔵は明治十年(1877年)頃に建て直されたと伝えられている。
尚、現存の一番古い蔵は、その時の一揆の戦火から免れたもので天保年間とのことである。

さて、造り酒屋としての技術力は伝統という名の力の影響で確固たるものが築かれている。 今もなお職人気質が息づくかたくなまでのひたむきな焼配へのこだわりは伝え、受け継がれし「あがたや」の本流に他ならない。

安心院と書いて「あじむ」と読む

安心院と書いて「あじむ」と読む

安心できる院と書いて「あじむ」と読みます。大分県内の方なら当たり前ですが、他の地域の方が初めて訪れて「あじむ」と読める方は皆無に等しいでしょう。確かに、安心院は手つかずの自然が多い風光明娼な地域です。また、近隣には八幡神社の総社「宇佐神宮」があることでも有名。その昔、仏教文化が栄えた地でもあります。
また、安心院には「日本の滝百選」にも選ばれた「東椎屋(ひがししいや)の滝」に象徴されるように水が極めて清らかなことも、この人口約8千人弱の山間の小さな町の後世に伝えるべく宝物に他なりません。

この自然が豊かなふるさとから、ナショナルブランドには真似することのできない、手作りの良さと蔵元のこだわりが宿る焼配を発信しようと、正直な商品づくりを念頭に掲げながら日々、研鑚を重ねてまいりました。

そして、ようやく、私どもの蔵名を名乗っても恥じることのない商品を作り出すことができました。日本酒類販売株式会社様とのタイアップから誕生した「高精白吟づくり懸屋」です。これまで、私どもの蔵から大分県外へ出荷するのは初めてのことだけに、日本酒類販売様から、市場二ーズや味、パッケージなど、様々な部分でアドバイスをいただきながら完成させた「蔵の心意気」が宿った自慢の麦焼酎です。
「高精白タイプ」と「高精白長期熟成」の2タイプの味がラインナップ。必ずや、焼酎フリークの喉を、軽快な麦の薫りが楽しませる飲み口の良い焼配です。オン・ザ・ロックをおすすめしたい...。大分県最古の蔵元からお届けする、県外不出の麦焼配、是非、ご賞味ください。

縣屋酒造株式会社 秦 幸広