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九州、沖縄各地の本格焼酎誕生の歴史

 前回は本格焼酎の歴史について書きました。

今回も同じような路線のテーマですが、 九州、沖縄各地の本格焼酎がどのように誕生したかを書きたいと思います。

1.沖縄、泡盛

 前回も述べましたが、泡盛が沖縄に伝来したのは15世紀中頃には定着したと考えられています。

 従って、泡盛はこの国の焼酎の元祖といえます。

 そして、当時の琉球王国の領内であった奄美大島諸島にも泡盛が伝わったものと推定されます。

 

2.南九州、穀類焼酎

 泡盛が沖縄に定着してから約半世紀が過ぎた16世紀はじめごろには鹿児島に上陸し、

 以降、宮崎県南部地方や人吉(球磨)地方へ16世紀末ごろに伝わり、

 さらに宮崎県北部地方(当時の日向地方)から高千穂地方にかけて17世紀中ごろに広がったといわれています。

 なお、当時の南九州では、お米はとても貴重だったと考えられ、

 主に、ひえ、あわ、きび等のいわゆる雑穀を主体とした焼酎が造られていたと思われます。

 

3.鹿児島、甘藷焼酎

 甘藷(さつまいも)が中国南部より沖縄を経て鹿児島に渡ったのは17世紀に入ってからのことです。

 そして、推測では甘藷焼酎が造られるようになったのは17世紀中ごろ以降であろうと思われます。

 ですので、それ以前は上記の2のような雑穀を主体とする焼酎造りが定着していたと考えられます。

 

4.北九州の粕取り焼酎

 粕取り焼酎は、清酒どころである福岡県を中心に17世紀ごろから造られていたと思われます。

 当時の庶民には、清酒は関係の薄い酒であり、稲作には欠かせない諸行事の祝い酒として、

 また、蒸留粕は貴重な肥料として、粕取り焼酎は農民にとって貴重な役割を果たしていました。

 

5.壱岐の麦焼酎

 麦焼酎で有名な長崎県壱岐島で麦焼酎が造られはじめたのは、

 江戸時代の末期19世紀はじめごろであろうといわれています。

 壱岐島は米作の豊かな島で、元々は清酒が造られていたようですが、

 幕府の参勤交代制が施かれてからは藩の財政が逼迫し、米の供出が厳しくなったため、

 清酒の不足分を麦焼酎で賄うようになったようです。

 

6.伊豆諸島、甘藷焼酎

 伊豆諸島(東京都)は甘藷焼酎の産地ですが、江戸時代の末期(19世紀中ごろ)に

 鹿児島県阿久根出身の貿易商、丹宗庄右衛門(たんそうしょうえもん)が八丈島で救荒作物として

 甘藷の栽培を普及させ、加えて鹿児島から焼酎の製造設備一式を取り寄せて甘藷焼酎の

 醸造法を島民に伝授したのがはじまりのようです。

 

7.奄美諸島の黒糖焼酎 

 黒糖焼酎は奄美大島諸島の特産品ですが、

 黒糖は奄美大島諸島にとって唯一に近い財源物資であった史実から、

 黒糖焼酎が島民の酒として定着したのは近年のことと考えられます。

 それ以前は沖縄同様、泡盛が島の酒だったようです。

 ちなみに奄美大島諸島が1953年に本土復帰した際に、

 島民の飲酒習慣を尊重して、黒糖焼酎は税法上ラム(スピリッツ)に分類されずに

 本格焼酎の仲間入りをしました。

 

このように、その当時の時代背景や環境など、さまざまな要因があって各地で本格焼酎造りがはじまり、

そして発展していったことが分かります。

 

本格焼酎醸造は糖類を入れることを禁止されているのですが、

黒糖(さとうきびだけ)は使うことを許されている、

加えて奄美大島諸島以外では黒糖焼酎の製造を禁止している、

といのも時代背景がうかがえ個人的には面白いなあと思います。

歴史を知ったうえで晩酌してみるともしかしたら、より一層味わい深くなる、かもしれません(^^)

 

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